たしかにスクラムはアジャイルではあるが、スクラムをやってるからといってアジャイルであるとは限らない
タイトルが周りくどいですが、言いたいことを全部詰めてみました。
背景
- SWEとして働いてると、Bizメンバーが使う「アジャイル」とエンジニアの使う「アジャイル」が異なる瞬間があることに気づいた
- ソフトウェア会社と事業会社においても、アジャイルへの理解が異なると感じる
- なんちゃってスクラムマスターみたいな人が意外と多いなと思う
本題
タイトルの通り、スクラムはたしかにアジャイルの一つの手法である。
だからと言って、スクラムをやってるから我々はアジャイルだ!といってる人たちを見かけると強く違和感を感じるケースがある。
スクラムとは
よくあるスクラムでは、1-2週間でスプリントを切り、朝会で作業状態の確認をし、ふりかえりをして、次のスプリント計画をしましょう。みたいな説明がされている。
たしかにそれは正解だし、「スクラムを実践する」という意味では正解なのかもしれない。
ただ、その中での実態を見てみると、実はスプリントの中でWF(ウォーターフォール)のプロセスを順番に確認してるだけで、ただチェックポイントを設けてるのと一緒じゃんと思うことがちょこちょこある。
アジャイルとは考え方である
アジャイルと言って、まず参考にすべきは「アジャイルソフトウェア開発宣言」であろう
これを読んだことなくして、アジャイルやってますとかいってる人は、偽物である。
この宣言や原則を読むと、具体的な手法というよりかは考え方の部分に多く言及されているのがよくわかる。
なので、アジャイル = スクラム、すなわち「How」の部分だけなぞって満足してる時点でアジャイルではないと考える。
どうしたらいいか
「How」だけでもだめだし、「Why」だけでも足りない。
両方を常に追求すべきであり、両方に対する理解のアップデートをし続けるべき。
スクラムから導入するのは、たしかに導入しやすいから良いと思う。
ただ、導入しっぱなしで終わるのではなく、プラクティスやプロセスの背後にある原理原則を理解するべき。
アジャイルについて向き合い続けるというのは大事。技術と同じで入れたらおしまいというのではなく。
そして、自分たちがやっている業務などにおいて、アジャイル的にはどうしたらより良くなるのか?というのを考え続けるべきである。
結論
変化を抱擁せよってことだと思う